そしてメインである大法要。
まずお釈迦様、道元禅師(曹洞宗を開いた人)、瑩山紹瑾(曹洞宗を広めてくれた人)の供養から始まりお三方にお茶、お菓子、蜜湯を捧げます。
本当にこの写真を見ていると色んな事を思います。
旅だって行く順番も皆違います。
大往生人した人。
平均寿命だった人
あまりに早すぎた人。
僕たちではどうしよもない順番があります。
残された側として旅だった人を「想いたい」。
そんな人が何百人と集まって頂けました。
いつも僕が思う事は「この一方通行に見える供養に意味があると言う事が一般の人達の目に見えたらどんだけこの世が違って見えるか」
でも見えません。
感じる事しか出来ないんです。
一つだけ言い切れる事は供養をした人にしか感じられない「空気」はあります。
その「空気」の中に「想う人」、「想われる人」が存在します。
「想う人」には、亡くなってしまった人が居てくれたから今があると想う、感謝や恩義、
「想われる人」には亡くなってもこんなに足元が悪い日に服を濡らし自分の為に時間を使ってくれて。
この互いの想いが交わった時、間違いなく「何か」が生まれます。
その「何か」は供養された人達が一番わかってると思います。
精神の安定に変わったり、肩の荷がふっと降りた感じだったり、頭の中がスッキリしたり、起きるはずのない奇跡が起きたり。
全て目に見えない形で僕達の周りに「何か」が起きてます。
見えないがゆえに「意味がない」と思いがちですが必ず意味はあります。
それを分かりやすく伝える為に僕と住職は法話を続けます。
何があっても皆様に語り続けます。
今回供養をお申し込みされた方達、本当にご苦労様でした🙇🙇
そんな、天気は悪かったけど素晴らしい春のお彼岸の中日でした☺